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女子旅 [旅行]

昭和50年代私が若かりし頃、密かに旅をしたいとずっと胸に秘めておりました。
とはいっても当時私は北は北海道から西は島根県まで毎年数回友人と旅をしていて、どちらかと言うと旅には出ていた方です。
でも私が行きたかった旅とはそんな現実的なものではありません。
私がやりたかったのは女子旅です!。
旅女.png
と、また訳の分からないことを書きはじめましたが(笑)。
つまり女性として旅をしたかったわけです。
友人と旅行に行った時も列車で見かける旅する女性を羨ましく思って眺めていました。
ホームに佇む女性、車内の窓際のボックスシートで眠る女性、ぼんやり車窓を眺める女性、すべて私の憧れでした。
女性のようにお洒落をして旅に出られたらどんなにいいだろうかと、いつも夢想していました。
なぜ夢想が「旅」だったのかはいまだにわかりませんが、当時山梨県のリゾート地「清里」が若い女性を中心に大ブームになっいて、そんな影響もあったのかも知れません。
もっとも私が行きたっかたのそんなブームのリゾート地ではなく、どこかの田舎道やどこかの街の街角だったのですが。
そんなロケーションの中。
夢想の旅はひとり旅で、なぜか女性になった私が小駅のホームに佇んでいるイメージなんです(笑)。
そんな、女性として旅をできたならどんなに素敵だろうと思い続けてきました。
ま、この夢想は、その頃から(たぶんもっとずっと前でしょうけど)私が狂っていたという証拠みたいなものですけどね(笑)。

今の若い方は清里と聞いてもピンと来ないかも知れません。
昭和50年代ブームだった高原の原宿と呼ばれた「清里」の賑わいは完全に失われ今はすっかり寂れきってるそうで、清里という名前を聴く機会もないでしょうから。
軽井沢などは時代やブームに関係なく栄えているのに、この違いはなんなのでしょうかね?。
でも、今行ってみると意外と面白いかも?。

ミルクポット.png
超人気スポットだった「ミルクポット」、ここでみんな写真撮影をしたそうです。

私、寂れたところ好きですし、寂れた今の清里の方が変な私に向いていそうです。
ちなみに、今は女子旅をしたいとは思いません。
旅おばさんじゃ、絵になりませんから。
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新潟県村上市〜笹川流れ [旅行]

今日はネタがないので、新潟県村上市の「笹川流れの」観光汽船から撮影した画像でお茶を濁します(笑)。
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来月、またその近に旅行に行く予定なので・・・。
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カモメがメインですね。
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観光汽船に近寄ると餌をくれるとカモメは知っていて船に近づいてきます。
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国道469号線 [旅行]

昨日の記事で、最近私が行ってる旅行は刺激がないと書きましたが、記憶を辿ってみると間違いだったことがわかりました。
道を間違えて妙なところに出てしまったり、渋滞に巻きこまれ迂回路探してたら迷子になったとか、細い山坂道を走ってたら子熊(親熊がいなく良かった)に遭遇したとか、結構ありました。
その中でも印象深いのが静岡に行った時のことでしょうか。
確か二泊三日の旅行で。一泊目は浜名湖、二泊目はせっかく富士山の近くにきたのだからと、富士山が見える絶景のホテルに予約いれ、ホテル目指して車を走らせておりました。
新東名の新清水インターで高速を降り、国道52号線に入りました。
助手席に乗ってる同乗者が言うには、予約しているホテルに行くには国道52号から途中で国道469号へ入ればいいとのこと。
国道52号線は静岡市(清水)から山梨県甲府市までを結ぶ幹線国道で、国道469号は静岡県御殿場市から巨摩郡南部町至る一般国道。
ホテルまでは渋滞に巻きこまれでもしなければスムーズに行けるだろうと何の不安も感じませんでした。
天候は小雨、国道52号線の交通量はそれほど多くなく、国道469号線に入るとさらに少なくなりました。
道路の状態もまずまず最初は快適に車を走らせておりましたが、山道に入ると霧が濃くなってきました。
午後4時を過ぎると辺りが少し薄暗くなり霧も晴れず、広かった道も何となく狭まった印象。
「道間違えたんじゃないの?」
「この道、本当に国道?」
後部座席の同乗者が不安げな声をあげます。
走っていると国道469号線を示す標識が時々現れるので間違いなく国道。
しかしながら、行き先を示す標識はまったく現れず(見えなかった?)不安を一層煽られる。
辺りはさらに暗くなりヘッドライト点灯。
道もさらに狭まくなり、対向車がきた場合すれ違えないくらい狭くなる所も。
「やっぱり道間違えたんだよ!」
「引き返そうよ!」
同乗者の不安がヒートアップ!。
完全に暗くなり霧も深く道も狭く、まさに最悪。
ハンドル操作を一歩誤れば大事故に、全員死亡ということだって十分あり得ます。
私もかなり不安でしたが、国道の標識を信じて引き返すつもりはありませんでした。
その後も後部座席からの罵詈雑言を背中に受けながら何とか運転。
そもそも旅行の日程を決めたのも、国道469号線を走ることを決めたのも私じゃないんですけどね。
決めたのは助手席の同乗者ですが、彼はずっと沈黙を守ったままです。
なのに非難はすべて私に向けられる。
だいぶ走って、ようやく道が広がり目的地を示す標識が。
「やっぱり、この道でよかったんだよ!」
と、助手席の同乗者。
おいおい・・・(笑)。

ようやくホテルに到着。
散々なドライブとなりました。
翌朝、晴れてれば富士山の絶景が拝めるのに、雨と霧でなんにも見えず(涙)。
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↑霧に包まれた我々の泊まったホテル。

あとで知ったのですが。
国道469号線は別名「酷道469号線」というのだそうで、所々国道らしからぬ酷い道があってマニアの間では有名だそうです。
もっとも469号線などはまだまだ初心者向けの序の口の酷道で、もっと酷い名ばかりの酷道は全国にあるそうです。
一歩間違えれば・・・、と思うと、さすがに私向きじゃなさそうです。
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ひとり旅 [旅行]

旅行には年2回ほど行ってますが、家族旅行みたいなもので自分の自由にはなりません。
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行き先、日程、行程など決める権限、私には一切ありません。
しかも絶対車で、私は必ず運転手(泣)。
たまには移り行く景色を眺めながら、居眠りしながら行きたいんですけど・・・。
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20代、30代はよくひとり旅に行きました。
鉄道だとどうしても列車ダイヤに縛られるので、自由に動ける車を使ってが多かったです。
あらかじめどっち方面へ行くかは大雑把に決めておき、どこへ行くかは走りながら気分で決める。目的地は決めてあるがどういうルートで行くかは気分次第。
だいたいこの2パターンでした。
泊まるホテルなども決めずに行きますから、まともな宿泊場所が見つからない場合などあって、現地へ行ってから焦ることなったりします。
まあ、それも楽しいんですけどね。
食事も1人だから豪華に楽しもうが節約しようが自由。
もっとも豪華に楽しんだことはほとんどありませんが。
お昼は自販機天ぷらそばとか、自販機バーガーとかで済ませたことも度々。

話は脱線しますが。
当時はまだオートスナック、24時間オートレストランなる自販機ショップが24時間営業のコンビニに駆逐されるまでは、幹線道路沿いでたくさん営業していました。
24時間オートレストランはドリンク自販機に加え、そば、うどん、ラーメン、ハンバーガー、トースト、弁当、中にはゆで卵とか惣菜の自販機もありました。
味は、まあそれなりですが、雰囲気が良かったんですよね。
黄昏た自販機コーナーで1人、ラーメンなどすすってると、とても切なくなってきます(笑)。
今はなき、知る人ぞ知る、あの「グーテンバーガー」をリアルタイムで何度も食べました。
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ネットなどでは昭和レトロ自販機ブームらしく、今また注目を集めてるようです。
興味のある方は、オートスナック、昭和レトロ自販機、グーテンバーガーとか検索すると、たくさんヒットします。

駅弁を買って車の中で食べたこともあり、これもなかなかわびしくて良いです。
ひとり旅の場合は例外なく素泊まりで、旅費を抑えるためレストランなどには行かずテイクアウトの弁当ということもありました。
こうなるとひとり旅というより、一人暮らしという感じですが(笑)。
どうも私には、寂しさを自虐的に味わうというか、そんな変な癖があるみたいです。
こんな馬鹿なことは連れがいれば絶対にできません、ひとり旅ならではでしょう。


今の旅行は行き先はあらかじめ決まっているしホテルも予約済み、観光地をまわりホテルの料理を食べ、まあ、ごく普通の旅行です。
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楽ですけど刺激はありませんよね。
またひとり旅に出ようかな。
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気ままに出かけて、適当に帰ってくる。
あと数年?、リタイアしたら行こうと思いうます。
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 [旅行]

私が20代後半の頃です。
都落ちして地元の会社に就職。
あまり大きな会社ではありませんでしたが業種的には私に合っていて、同僚にも恵まれ結構楽しく仕事をしておりました。
しかしながら小売業で急成長してた会社だったせいか辞めて行く者入社してくる者、従業員の出入りは激しく1年もしないうちベテランと呼ばれ、責任者にされてしまうという始末。
まあ、早い話が人が居着かないわけです。
仕事はメチャ忙しかったですが別に待遇が悪いわけでもなく、特別人使いが荒いというわけでもなく、今思うと忙しすぎた会社だったのでしょう。
男も女も様々な人が入れ替わり立ち替わり入社してくるわけですが、その中で特に仲が良くなった人たちがますい。
KさんとEさんとMさん、Aさんですで、もちろん実名は出せません(笑)。
KさんとEさんとMさんは女性、Aさんは男性です。
一番の思い出は夏、会社に嘘を言ってみんなで保養所へ泊まりに行ったことでしょうか。
当時会社が従業員の福利厚生の一環として避暑地のマンションの一室を保養所として所得しました(人が居着かないのを解消するためだったらしい?)。
早速その避暑地のマンションに泊まりに行こうと計画を立てたのです。
しかしながら男女5人で一緒に避暑地へ行くなどと本当のことを言うと、間違いなく変な噂を立てられる。
これは秘密裏に行おうということになりました。
そこでKさんが友人と泊まることにして、我々は同じ日に休みを入れることにしました。
怪しまれないよう、休みを申請する日をわざとずらして休みを入れていきました。
あくまでも保養所に泊まるのはKさんと友人であって、我々はKさんと偶然休みが重なっただけだよと言いたかったわけです(笑)。
散歩したり、夜遅くまで話をしたり、キッチンで料理を作って食べたりして、夏の避暑地は涼しく爽やかで楽しかったです。
その後も3〜5人で一緒に遊びに行ったり、Kさん家に泊まりに行ったり、KさんとEさんと一緒に美容院に行ったりしてました。
面白いのはMさんは小柄ですが、女性であるKさんとEさんは背が高く2人とも175cm前後あり、私やAさんの方が背が低くて変な5人組でした。
周りからはどう見られていたのでしょうか?。
隠していたつもりでしたが、あの5人は異常に仲がいいと噂になっていたらしいことを後で知りました。
やっぱりこういうことはわかってしまうんですね。
途中でAさんは会社とうまくいかなくなり退社、Eさんは父親の転勤で家族と一緒に千葉方面へ。
まだ10代だったMさんを除き、他の4人にそれぞれ恋心があったのかなかったのか?。
たぶん、微妙にあったのだと思います。
私はKさんもEさんも好きでしたが、特にKさんには特別な感情を抱いていたようです。
Kさんって姉御肌で、ちょっキツい表情は宝塚の男役みたいな感じでした。
以前に女友達から、「へえ!、○○○○ちゃんって、キツい顔の人が好きなんだね」と言われたことがあるんですが、その時はどういうことかわからず?。
Kさんのことがあって初めて女友達の言ったことが理解できました。

その後、私は自分の店を開くことになり退社。
Kさんも退社。
Kさんはお見合いしたけど破談したと、後で本人から聞きました。
Eさんも数年後に退社したと聞いています。
Aさんは時々私の店に顔を出してくれましたが、その後は誰とも会っていません。
今会ったらどうでしょうか?。
もうみんないい歳ですからね(笑)。
みんなで顔見合わせて笑っちゃうかもしれません。

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歳を取ったから余計思うんでしょうね、避暑地で過ごした日々をもう一度と・・・。

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実は私、Kさんに告白したんです。
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(ベゴニア)

でも、戸惑っているようで、なんか微妙な感じで・・・。
なんとなく会い難い雰囲気になってしまいました。
たぶん、その時、もっと積極的にアプローチをしていれば。
おそらくは・・・。
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暑い夏 [旅行]

私の居住する北関東北西部は例によって今日もめちゃくちゃ暑いです!。
近年は毎年猛暑日が続出し、全国的にも群馬館林や埼玉熊谷が1位2位を争って有名になっております。
では、昭和時代、20世紀はどうだったのでしょうか?。
二酸化炭素の影響で温暖化が進んでいると言われておりますし、20世紀の方が少しは涼しかったのでしょうか?。
私は昭和30年代の生まれですので当然知っています、実際生きてきましたから(笑)。
あくまで私の主観ですが、20世紀も今と同じでやっぱり夏は凄く暑かったと思います。
地球温暖化が叫ばれておりますが。トランプ大統領(笑)だけでなく、学者や専門家には異論もあるようです。
人間の所業程度では地球の気温は変えられず、むしろ徐々に寒冷化しているそうです。
そもそも今は氷河期であり、間氷期とよばれる比較的温暖な時期で、また氷河期がくると主張する人もおります。
もちろん温暖化してるのか寒冷化しているのか、素人の私にはまったくわかりませんが。

で、昭和時代の夏ですが。
70年代高校3年生だった私は卒業旅行と称し、夏休み、広島県の三次(みよし)市という所に各駅停車のみを使った旅行に行きました。
当時新幹線は岡山までだったか、博多までだったか記憶にないですが。今と違って長距離の鈍行がたくさん走っていたようです。
旅行は2泊7日?という、2泊のユースホステル以外は駅寝(当時の国鉄は駅寝にまだ寛容でした)という強行スケジュールでした。
友人がテレビを見て思いつき。目的は広島県三次市にドイツ人のやっているたこ焼き屋があるらしいから、是非行って見ようという馬鹿馬鹿しいものでした。
もっともそれは単なる友人の口実で、実は鉄道ファンだった友人が鉄道一筆書き切符を作りたく企てた計画だったらしいです。
満足に鉄道の切符すら買えない私は、うまく乗せられ付き合わされたようです。
三次市は広島県北部の中心都市らしいですが、街の規模はそれほど大きくなく小都市という感じでした。
さほど大きくない街を駅前から商店街からくまなく探し、さらに郊外にまで足を伸ばす。
しかも汗をダラダラ流しながら、自販機を見つける度に炭酸飲料を飲まねばいられないほどの猛暑!。
しかしながら、ドイツ人のたこ焼き屋などどこにもない!。
「どこにもないじゃないか!」「本当にテレビで見たのか!」
私は友人をなじったように記憶しています。

せっかく広島に来たのだからと平和公園での式典に出席しようとしたものの起きられず、着いた時には既に終わっていて椅子を片付けている最中。
結果は、超寝不足と猛暑に参った1週間でした

1970年代三次駅ホーム
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たぶん三次市郊外?
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今でも夏になると、三次市の暑い日の青空と、汗だくで飲んだ炭酸飲料を思い出します

友人は卒業後、回り道を少しした後、国鉄→JR東日本→某私鉄へ就職。残念ながら2012年病気のため他界いたしました。